妙誠寺 本堂 妙誠寺 参道
歴史
 明治のはじめ、半原村馬渡、大貫作右衛門氏仏縁により法華経の信仰に入り、かつ同信の者をも得て明治27年現在地に小堂を建立、千葉県中山にある本山法華経寺鬼子母尊神御分体を勧請、安置した。またその頃、千葉県浦安の人、高津伊三郎・妻カト導きによりて当地に至り、同信の誼を持って大貫氏と歩みを揃え中山祈祷講社を組織する。その後明治40年信者の増したるをもって堂舎を改修し、現在の鬼子母神堂となった。
 昭和3年大貫家にゆかりの小島利雄氏この堂に参籠し断食水垢離の修行を重ね、翌年出家得度し、名を一誠と改め日蓮宗総本山身延山久遠寺にて行学二道に精励せり。同時に作右衛門嗣子和助の発願ありて昭和5年祖師堂(現本堂)を建立した。一誠師主幹のもと昭和13年には妙法結社、同17年日蓮宗愛川教会、戦後に至り、昭和21年ついに大高山妙誠寺を設立した。境内には前述二堂の他に合祀墓『一乗廟』、関東大震災横死者慰霊塔、鬼子母神堂建立報恩塔、母子・水子地蔵尊、題目碑等がある。
 年中行事としては彼岸会や花参り、日蓮聖人お会式などに加え、特に8月16日盂蘭盆施餓鬼会における灯籠流しでは、その昔より近隣になき盛儀として賑わいをみせる。また近年日蓮聖人示現といわれる伊勢妙見尊御分体を勧請し、そのご威光を仰いで年末には星祭りも盛大に行われる。

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