井原寺 本堂 井原寺 山門
<沿革>
 昭和10(1935)年示寂された霊獄宗光和尚の記した「霊教記」があり、よく整理されて寺歴が伝わっている。北条定時の頃、御家人の小磯城二代目の城主(所在、氏名不明)が敵方の払暁作戦に遭い落城、念持仏を持って一族と共に青野原の地に逃げ隠棲したという。その念持仏の延命地蔵菩薩を詞に祀り一族の家臣の冥福と世間の平和を祈ったといいます。
 五代を過ぎる頃には、地元の人々に次第に信仰されるようになり、文明4(1472)示寂された暁峰説演和尚、初代の城主から数えて6代目を開山として、三青山青原寺を興したとしている。その後4代を経て、天文元(1532)年示寂された慶岩道誉和尚の代、井上左衛門尉行泰は、信仰厚く、諸堂宇を現在地に建て、山、寺号を巌高山井原寺と改めたと言われております。
 行泰は天文7(1532)年8月に逝去したので、氏の業績を讃え、井教院殿尊覚了心居士の法号を送り当山の中興開山をしたと言います。
 慶長12(1608)年示寂の洞昌院(伊勢原市)第3世学峰守養和尚の時、曹洞宗の寺になったらしく、師を第一世の開山と仰いでいます。
 明治5(1872)八月学制年が布かれ、青野原小学校が明治6(1890)9月まで授業が本堂で行われました。聖観世音菩薩像は当山第7世光林徳全大和尚により、享保12(1727)に安置され、地元の信仰を集め、今日に至っております。

(参考資料:津久井観音霊場2008)
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