仙洞寺 本堂 | 仙洞寺 寺庭 |
<沿革> 仙洞寺の由緒については、文政8(1835)年の口達覚によれば、相州津久井縣根小屋功雲寺末寺であり、本尊は拓華釈迦如来で開山は無極恵徹永享2(1430)年没。また中興の開山は柳山洞袈大和尚元和2(1430)没である。また、中興の開基は珍叟公珠庵主(甲斐武田信玄の家臣で、相州津久井縣明日原村辺見惣兵衛の祖)といわれている。 本尊釈迦如来は、開いた蓮華を持ち、両脇に迦葉尊者、阿難尊者を従えているもので、台座は8角で5段になっており、まさしく運慶の作という。 同寺は、仙洞寺山の中腹に建立されていたのであるが、昭和45(1970)年5月現在地に新しく建造された。 昭和46(1971)年2月本尊修復のため解体の節、その体内より次の一紙が発見されたという。 「相州津久井青山村毘盧山仙洞寺本尊拓華釈迦如来脇立迦葉阿難運慶正作現住定林叟発大誓願讀誦大乗妙典弐百部欲再興之時有武州江戸小石川禅雲寺智泉叟加金子千疋助成並総担越助成名字如左(以下略) 正徳六年七月大吉日 武州江戸室町三丁目 佛典大佛具師 祐雲 同 市太夫」 |
墓地情報 |
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